石巻市の防災訓練が行なわれました、今回は携帯電話に災害情報を
送ることが出来るシステムが導入され、それの設定と操作説明が行
なわれました。情報は大事かもしれませんが、その情報を受けて如何
に真剣に行動に起すか、またその情報の真意を皆に早く伝えるかが
大事かと思いました。 人間は自分の勝手な損得考えで判断して
しまう生き物なのかもしれません・・・・
久しぶりに東松島市野蒜・東名浜・航空自衛隊の有る大曲浜を通って
石巻に来ました、野蒜駅は震災を伝える観光物産館になるそうです、
津波で残った地区唯一の建物です、今度出来る駅は北の方の山の中
に移転し仙石線が開通するそうです、今その山の中に移転用宅地等
の工事が進められていました。少しづつですが生活の場が作られて
います。しかしこれまで生活していた海に近い土地は海水が残る
水溜りが残る荒地となっています。人々がこれまでの様に住む事が
できない土地に認定されていて使用計画がたっていないようです。
防災演習はヘリコプターも飛びかい賑やかな演習でした、テントの中では
携帯電話で災害情報を得る操作を教わっていました。
先日のツールド東北に参加し走った事を知った、宮城県川崎町に有る
石神彫刻工房さんから来年のカレンダーを頂きました。早速応援して
もらった方々に配って廻りました。カレンダーのお地蔵様は旦那さんが
彫刻した物を家の前の広いギャラリーに置いてあるのを奥さんがお地
蔵様の周りに咲いている四季の草花風景と一緒に撮った写真をブログ
に掲載した物をカレンダーに起した物だそうです。この石神工房の前の
ギャラリーはとても私のお気に入りの心休まる場所です。
この写真は松島から海岸線を走り野蒜の前東名浜です。東名浜はアサリ
が取れるとこで何度か取りに行ったことが有ります、ここも片付けられ荒地
が広がっています
海岸の堤防から松林が有り残っている建物は郵政 簡保の宿屋だった
建物です、この海岸の土地に残っている建物はこの建物だけでした。
震災前には何度か行ったことが有り、お昼のバイキング料理を食べて
お風呂に入ってきたことを思い出します
中心の電柱が見え道路の様に見える所はJR仙石線の線路があった
ところです。津波が来たとき私はこの奥の所で止まった電車の中で
乗客皆と一晩過ごした所です、如何してもここにやって来ます、ここ
にいた一晩で世の中がスッカリ変わっていました。
東松島市大曲浜に有る造船所です、正面に津波で建設中だった船が
垢さびてこの間まで有りましたが今は業務を再開しているようです、
この荒れ果てた土地に家が町が有りました、証拠は荒地に立つ
白く写る張り紙だけです