震災後4回目のお盆を迎えました、石巻市内は復興への図面が出来上がり
着工を迎えるばかりの計画が新聞に紹介されたり実際に地盤調査や工事・
販売活動が盛んに進められる様になって来ました。ここで注目したいのは
これら復興の予算は全て税金で賄われている事です、復興予算はこの先
長い時間掛けて国民皆が税金として納めていくことになるのです、だから
使われ方に国民皆で見守ってゆくことが大切かと思います、市民はさも
貰って当たり前貰ってしまえば自分の物なのだから使い勝手みたいな
事では駄目では無いでしょうか、大手ゼニコンが箱物を作る計画を提案
する本当に必要な物でしょうか、そんなに大きなものが必要なのでしょうか。
その様な判断は誰がするのでしょうか、震災から特に有識者と言う言葉を
耳にします、福島原発では特に聞きました、その有識者にに頼る必要がある
のは事実です、しかしあの時私達は唯言うだけ言って消えていった有識者の
方々は今どうしているのでしょうか、震災直後石巻の市内に各方面の学者
さんが大勢着てくれました。色々な意見を言って今はこなくなってしまいました。
自分が言ったことへの責任上最後まで見守って欲しいと思います。震災後
4年間で日本国中災害に遭わない県が無いほど色々な災害に見舞われ、
それぞれの場所で震災復興と同じ位の災害に見舞われています。古い災害
は段々忘れ去られるような気がします。どうか皆さんどの復興も税金で賄わ
れていることを忘れないようにしましょう。税金の使われ方に妥当性がある
のかどうか必要な物なのか
住吉公園すこし上流の風景です、この場所は昭和45年頃この前の北上川で
花火が上げられていました。それこそ目の前で花火の殻が飛んでくる場所で
した、こんな近場での花火は初めてだったので石巻は凄い町なのだと思いま
した。そんな場所ももう少しで防波堤が作られ子の風景も今だけです。
震災から4年がたち住吉公園の松ノ木が枯れてきていました、由緒ある神社
の松も津波には勝てないのでしょうか、春まで青々していたのに残念です
松ノ木の隣にある藤の木は今年も藤の花をつけていました、私はこの藤の木
の種から芽を出させて4鉢育てています何時の日か何処かに移植したいと
考えています。
石巻の名前の由来、石を巻く川の水が見られた公園の松ノ木は震災直後から
枯れてしまいました、今はこの様に大雨が来ると今にも流されそうです
石巻市内に民間で計画されている一・二階が商店街でその上はマンション
の工事が進められていました。多くの方が市内に戻ってきてくれるといい
のですが
石巻市内状況を眺めるのには日和山の展望台から最適です、震災直後から
この場所で写真を撮り続けて来ました、ここから我家の周りも見えます、町の
空地や復興状況を見ることが出来ます。
中瀬もお盆と夏休みで漫画館へのお客様の車が沢山見受けられます。
震災前はあの場所は人工芝で広場になっており孫達と遊んだ場所です
日和山から湊の風景です、震災で今はビルだけが残っています
久しぶりに門の脇小学校に来て見ました、その通りにバス停が立っていました。
この場所に全国からの皆さんがこの場所を見に来てくれることを思います、
そして亡くなった方の無念を思って良い国を作って欲しいと
見つからず、取り壊しの了解が得られずまだ一軒だけ残ってしまったと聞き
ました、下の写真は門脇小学校から写した写真です、草原に建つ一軒や見
たいです、取り壊された空地には雑草がこんなに育っています
石巻漁港方向を日和山から写したもので、下の二枚はその漁港で撮影し
ました、まだ取り壊されていない魚の加工場と復興された魚市場前の道路
石巻市湊から渡波・女川へ行く国道の風景どの様に復興されるのか