2014年10月20日月曜日

NO174  東松島・野蒜・大曲地区の復興風景

     先日久しぶりに午後早い時間に石巻に帰って来ました、そのとき野蒜・東松島・
     大曲地区と撮影しながら帰って来て復興が進み、刈取りを待つ稲が繁る田圃を
     見かけました、復興工事が盛んにやっているのを見ることが出来ました、少し
     づつですが工事が進んでいます



    手樽駅近くにJR仙石線の線路復旧の為の電車が止まっていました、仙石線は
    この先野蒜駅を山の中の高台に移転予定で、下の写真が野蒜の山高台へ行く
    仙石線の高架橋です



     東名から野蒜の海岸を眺めた今の風景 震災は松林と住宅地が有りましたが、
    今は一軒も住宅が見かけません、地盤沈下を起した土地には水溜りが見られます


     正面に見えるのが野蒜小学校今は消防署や警察・銀行などが入っています、
     この道路を私は津波の後、次の日3月12日午前中に電車から降りて始めて
    津波の被害の大きさをこの道路を歩いて見たのがこの道路でした。


       この先には仙石線の野蒜駅が見えていた踏み切りです、野蒜駅や町が
       高台に移転する為この地区はこの先どの様な復興をしていくのか、下の
       写真の場所が新しい野蒜の町と駅が出来る場所です



        東松島の海岸に近い田圃の復興工事が盛んに行なわれていました、



         復興され今年稲が実った風景です今は綺麗に刈り取られています


    東矢本市の大曲地区綺麗に片付けられ遠く石巻のごみ処理場が見えています、
    この住宅地だった所はどの様な復興をしていくのでしょうか


    震災後最近まで垢さびた巨大船舶が見られた造船所に新しく作られた船が見られ
    少しづつですが、工場が産業が復活してきています、話によると働き手が減って
    困っているそうです


        津波で流された重吉町から大曲にいく仮の橋の復旧工事が始まりました、
        この橋の下の定川を津波が上り上流の住宅地や田畑が被害を受けました



      大曲浜から東松島市の町を望む風景 海水が田圃を流し荒れ野となっています、
      また田圃に復旧していくのでしょうね、干拓の技術があるので海水の土地でも
      復活できるはずです




2014年9月29日月曜日

NO173  ツールド東北に参加しました 石巻は広かった


     2014.09.14(日)ツール・ド・東北 100Kmコースに参加して来ました。昨年は
     60Kmコースでしたが今年は100kmコースに 昨年より今年は2ヶ月早く、
     夏は雨が多く練習不足で後半の神割崎の登り坂では両足がつってしまい
     ダウン寸前でしたが、何とかコールまでたどり着くことが出来ました。今年で
     二回目の参加、大会の雰囲気もわかり楽しい仲間や声掛け合う仲間が出来
     て、楽しい一日でした。
   来年はもう一度100kmに参加できるように練習をし健康で過ごしたいと思います。
   コース途中に有る仮設住宅の人達に応援の声をかけてもらい生きているって本当
   に素晴しい自分の為に励ましてもらえることが何て楽しく、嬉しいことか、応援して
   頂いた石巻・女川の皆様ありがとうございました。 来年も参加できるように一年
   健康で頑張りたいと思っています。
   
        今年も私が参加するするのを応援してくれた家族や町内の皆様
        ありがとうございました。



     私達100Kmコースのスタートは朝の6時30分からのスタートです、当日は
     朝霧がかかっていました、また最初のスタートは気仙沼まで行って帰って来る
     220Kmコースのスタートは5時で夕方に帰ってくる予定です、



      スタートの時私よりいくらか若い二人組みこれからゴールまで一緒になって
      走る仲間です。楽しい一日に成りそうです





     スタートから田圃の中を走り最初の坂を登りきった所を息子が取ってくれた
     ものです。この最初の坂が私にとって一番辛い坂です、後は自分のペース
     で頑張ります



      第一休憩所は女川でここのオモテナシは女川汁 サンマのつみれ汁です、
    朝早く体が冷えてきているのとサンマのだしが効いてとても美味しかったです。


    女川から雄勝に行く途中海が良く見える場所では皆さんが立ち止まり太平洋
    の美しさに見入っていました、


    第二休憩所は雄勝 ここではホタテの焼いたのを頂きました、やわらかくとても
   甘く美味しかったです、ここ雄勝は町が殆ど津波で流され休憩所から見える民家
   は数えることが出来るくらい少なかった、ほとんどがボランティアの方が接待して
   くれていました。ありがとうございます


    第三休憩所の神割崎に入って行くカーブでもう両足はダウン寸前頑張っています


    第三休憩所神割崎ではお昼なのでシーフードカレーが提供されました、カレー
    の匂いとシーフードの味がラストゴールまでの活力を読み換えしてくれました。
    またこの場所は高台に有る駐車場で天気も良く太平洋が綺麗でした。


       休憩所の自転車置き場で、この大会は順位を争う大会では無く参加者が
       夕方5時までに帰れば良いので休憩所では長い時間食べたり、風景が
       よければ写真を撮ったりと思い思い楽しんで走る大会です、私も昨年は
       60Kmを3時間30分位でゴールしたのですが、楽しい思い出が有りま
       せんでしたので、今年は時間を掛けて楽しんで仲間を作り思い出を作り
       走ろうかと時間をかけて、それがツールド東北です。下の写真が満足し
       ゴール直後の完走賞を頂いた後の写真です



       自宅に戻りいつも世話になり私を応援してくれた秀丸屋の親父さんと


     今年も私のユニホームは秀丸屋さんで売っている「おだづなよ 津波」の
      Tーシャツです。このTーシャツのおかげで参加者の皆さんから声を掛けて
      もらったり注目を頂きました

      今年も元気に参加でき応援し見守ってくれた家族、親類、地域の皆様 
      ありがとうございました
      来年も参加できるように元気で過ごしたいと思います


2014年8月27日水曜日

NO 172 お盆の石巻市内の復興風景

  
      震災後4回目のお盆を迎えました、石巻市内は復興への図面が出来上がり
     着工を迎えるばかりの計画が新聞に紹介されたり実際に地盤調査や工事・
     販売活動が盛んに進められる様になって来ました。ここで注目したいのは
     これら復興の予算は全て税金で賄われている事です、復興予算はこの先
     長い時間掛けて国民皆が税金として納めていくことになるのです、だから
     使われ方に国民皆で見守ってゆくことが大切かと思います、市民はさも
     貰って当たり前貰ってしまえば自分の物なのだから使い勝手みたいな
     事では駄目では無いでしょうか、大手ゼニコンが箱物を作る計画を提案
     する本当に必要な物でしょうか、そんなに大きなものが必要なのでしょうか。
     その様な判断は誰がするのでしょうか、震災から特に有識者と言う言葉を
     耳にします、福島原発では特に聞きました、その有識者にに頼る必要がある
     のは事実です、しかしあの時私達は唯言うだけ言って消えていった有識者の
     方々は今どうしているのでしょうか、震災直後石巻の市内に各方面の学者
     さんが大勢着てくれました。色々な意見を言って今はこなくなってしまいました。
     自分が言ったことへの責任上最後まで見守って欲しいと思います。震災後
     4年間で日本国中災害に遭わない県が無いほど色々な災害に見舞われ、
     それぞれの場所で震災復興と同じ位の災害に見舞われています。古い災害
     は段々忘れ去られるような気がします。どうか皆さんどの復興も税金で賄わ
     れていることを忘れないようにしましょう。税金の使われ方に妥当性がある
     のかどうか必要な物なのか



      住吉公園すこし上流の風景です、この場所は昭和45年頃この前の北上川で
      花火が上げられていました。それこそ目の前で花火の殻が飛んでくる場所で
      した、こんな近場での花火は初めてだったので石巻は凄い町なのだと思いま
      した。そんな場所ももう少しで防波堤が作られ子の風景も今だけです。


     震災から4年がたち住吉公園の松ノ木が枯れてきていました、由緒ある神社
     の松も津波には勝てないのでしょうか、春まで青々していたのに残念です


 
     松ノ木の隣にある藤の木は今年も藤の花をつけていました、私はこの藤の木
     の種から芽を出させて4鉢育てています何時の日か何処かに移植したいと
     考えています。

              

       石巻の名前の由来、石を巻く川の水が見られた公園の松ノ木は震災直後から
       枯れてしまいました、今はこの様に大雨が来ると今にも流されそうです


      石巻市内に民間で計画されている一・二階が商店街でその上はマンション
      の工事が進められていました。多くの方が市内に戻ってきてくれるといい
      のですが


      石巻市内状況を眺めるのには日和山の展望台から最適です、震災直後から
      この場所で写真を撮り続けて来ました、ここから我家の周りも見えます、町の
      空地や復興状況を見ることが出来ます。




       中瀬もお盆と夏休みで漫画館へのお客様の車が沢山見受けられます。
       震災前はあの場所は人工芝で広場になっており孫達と遊んだ場所です



           日和山から湊の風景です、震災で今はビルだけが残っています


     久しぶりに門の脇小学校に来て見ました、その通りにバス停が立っていました。
     この場所に全国からの皆さんがこの場所を見に来てくれることを思います、
     そして亡くなった方の無念を思って良い国を作って欲しいと



    

      上の写真石巻市南浜町跡にの一軒だけ残っている家が有ります、持ち主が
      見つからず、取り壊しの了解が得られずまだ一軒だけ残ってしまったと聞き
      ました、下の写真は門脇小学校から写した写真です、草原に建つ一軒や見
      たいです、取り壊された空地には雑草がこんなに育っています





      石巻漁港方向を日和山から写したもので、下の二枚はその漁港で撮影し
      ました、まだ取り壊されていない魚の加工場と復興された魚市場前の道路


         石巻市湊から渡波・女川へ行く国道の風景どの様に復興されるのか




2014年8月22日金曜日

NO 171 震災から4回目のお盆がやって来ました

    
    震災から4回目のお盆がやって来ました、4回目に成るとお盆の飾りつけ
    ・仏壇の料理等の買い物から制作と随分手際がよくなって来ました、
    妻が入る時は言いつけられた事しかしませんでしたので最初は随分と
    とまどいました、今思えば懐かしくもあり無我夢中の一年目でた、慣れて
    くると何か味気無く、昨年の迎え火を一人で焚いたのでしたが侘しくなって
    しまいました。今年は息子娘孫全員集合してもらいお墓参り、迎え火を
    しました。残念なのは送り火の16日に息子が熱を出しこられずひとりで
    送り火を焚いたことです。
    今年も石巻川開きが行なわれ我家の後ろから花火が見られ祥心会の皆と
    販売及び利用者さんと花火を見られたことが思い出の夏でした。


    仏壇は津波で壊れたのでまだ買っていませんが飾り棚を仏壇代わりとして
    飾っています、位牌は残っているので仏壇らしく飾りや供物もそれらしく飾ら
    れています


    川開きの初日は灯篭流しが行なわれました、震災で亡くなられた方々の
    供養が行なわれました




       我家のお店の見守り地蔵様も今日は夜になってもより一層私達を
       励ましてくれています



     店「バームクーヘン輪」を借りている祥心会の皆さんと今年も孫達が
     仙台から来てくれて綿菓子・玉こんにゃくの販売をしてくれました

  
      花火が我家の裏からスッカリ見られました、亡くなった妻も見てくれて
      いると思います


     今年も石巻市内にある蓮の花の写真を撮って来ました、昨年はお盆中
     毎朝写真撮影に通いましたが、今年は遅いようでした


     我が家の周りにひまわりが満開です、ボランティアさんが持って来てくれた
     そうです   ありがとうございます  町内が明るくなりました



      迎え火と晩御飯後に花火を皆とやりました、お盆らしくて良いですね



            旭化成さんから花の種と肥料を頂いた中の朝顔です