2014年1月30日木曜日

NO 162   2014年1月 東松島 野蒜・大曲浜の復興風景

     今年になって始めて東松島・野蒜地区を通って石巻に帰って来ました、
     野蒜は高台への移転工事が進められており、各地区それぞれ各種復興
     が進められてきています、これまで色々な計画が地区の皆の賛同を得
     るのに時間がかかって来ました、後は推し進めるだけ急ピッチで進め
     られるでしょう。全国から来た大型ダンプが土煙を上げて走っていまし
     た。この復興工事は私達住民のため、未来の家族のため、将来家族が
     今回のように津波で泣く事が無い様にする為の工事。
  
        でも最後は一人一人がどう行動するか どう逃げるかです
  
       災害や危険は色々な形で私達の周りに有るのではないでしょうか

       

        野蒜に来る途中で工事現場がありました、これまで有った道路
       から山の方へ工事が進められていました。工事は道路かなそれ
       とも移転するJRの線路かな


        野蒜駅前に復興市場が有り、牡蠣焼きの看板が見られました、
        この先は震災前は防風林の松林か続いており、その中に家々
        有る地区で、野蒜駅で降りて海辺の海水浴場に行く道路だった
        んです、夏仙台から沢山の海水浴客が通る道だったんです


        野蒜駅の風景津波で壊されてまだそのままで有りました、
        移転する駅は向こうの山の中に出来るそうです。もうすぐ
        取り壊されるでしょうね


    この上下二枚の写真は山を切り崩した土を運ぶ為のベルトコンベアです、
    ダンプで運ぶより早く安く出来るそうです、




     野蒜に来るとどうしても止まりどうなっているか、気になり写真を撮って
     しまいます、あの先で地震にあい電車が止まり高台に避難しなさいの
     案内を無視し、そのまま残り津波に遭わないで助かった場所です。もし
     あの時避難のため電車を離れたら生きていただろうか、今の私はここ
     から始まりました もうすぐ三年が経ちます。




    上二枚は鳴瀬川・吉田川河口の浜市地区、防風林の松林が綺麗な地区
    で、石巻から貞山堀が続き脇にサイクリング道路が有った所です、よく
    サイクリングに来たところです


      鳴瀬川の土手の上から工事現場が見えました、JRの復興線路が通る
      ところでしょうか、あの林の中に野蒜の移転団地が出来るのでしょうか


          工事箇所の場所は吉田川と鳴瀬川が一緒になるところで、
          もうすぐ海に入る所です


        東松島に入る国道45号線脇の田圃です、やっと田圃の復旧工事が
        進められて来ていました


       東松島大曲浜もすっかり片付けられ整地されていました、しかし昔の
       ように人々が戻ってはこないでしょうね



        大型トラックが瓦礫から選別された金属を運んで来ていました


     下の川は運河で江戸時代に仙台からこの運河を米などを石巻に運び
     江戸まで運んだ物だそうで、地盤沈下や防潮堤のため赤白のバーの
     ところまでかさ上げするのでしょうか


     まだ津波で壊された橋が復旧されていません、そのため震災直後に
    仮復旧された橋が今も多くの復旧トラックや資材、水産物が通っています



2014年1月21日火曜日

NO 161   2014年1月の石巻の風景 

      昨年は5月と年末12月に四国遍路を二回周り、11月にはツールド
      東北60Kmを自転車で走り、8月の夏は川開きでボランティア・綿菓子
      ・玉こんにゃく・スイカの提供・8月雨の中の月山登山と忙しく楽しい一年
      を過ごしました、今年は何をして過ごそうかと考えていたら娘にはらはら
      心配させないでよて言われてしまいました。私のことですから今年も何か
      楽しいことを見つけて、下の写真の輝く人の様に空を・前を見据えて過ご
      して行こうと思います。

      石巻市出身の金属造形作家伊藤嘉英さんの「輝く人」が中瀬公園に
      展示されています、中瀬公園に有った自由の女神像が中瀬の復旧
      工事のため一時別の場所に保管されました、津波に一部壊されて
      しまいましたがしっかりと太平洋を見つめていた、自由の女神に元気
     づけられたものです、このブログにも度々掲示させてもらいましたが
     早く戻ってきてもらいたいです。



              

     石巻市内北上川沿いの堤防の建設が始まりました、北上川の川岸に
     パイルを打ちその中に石を入れ堤防の基礎を作っています高さ5mの堤防
     が出来ます石巻の景観はどの様になるのかな、一番に考えなくてはいけ
     ないのは人々の安全でしょうか






      皆さん忘れたでしょうか、上の二枚の写真の道路上にピンクの綺麗な
      大きな船が有ったのを今はあの時の壊された船や建物は取り除かれ
      こんなに広々となってしまいました。震災前の風景を忘れてしまいそう
      です、


      個人商店がやめてしまっている中でボランティアの皆さんにお店を
     修理してもらい頑張っている酒屋さん、今日も元気に店を開いています



      内海橋を渡り湊に行く歩道橋に津波の到達点の表示板が有りました、
      向こうの信号機の右側の掲示板がそれですほぼ歩道の上まで津波は
      来たのです


       内海橋を渡り羽黒山を背にした石巻市内です手前の枯れ草の所は
       街が家があったところです



正面に見える建物は震災の時に出来た石巻市内で一番新しい老人専用
のマンションです、津波が来た場所ですが、壊れないで沢山のお年寄りが
住んでいます、この様なマンションが市内に沢山出来れば街中も賑わ家も
知れないと思っています、これからの町は年寄りに優しく住みやすい町
でなければいけないのでは、




      上二枚の写真は石巻から女川に行く途中の町渡波です、国道沿いは
      地盤沈下と津波で壊され移転先がこの場所だそうです、中学校等の
      地盤の建設が進められていました



       石巻の魚市場の風景です、市場前の道路は今修理の真っ最中で、
       不便かもしれませんが市場は活気を取り戻してきています


          石巻漁港に正月を迎えた漁船が沢山接岸していました



     日和大橋から工業港をパルプ工場を眺めた風景です、両脇に山のよう
     に積み上げられた自動車も数えられる位に少なくなって来ました、良く
     他所の街に行くと石巻の復興の進み具合を聞かれますが、今やっと
     計画がまとまり新しい街づくりが進められる土台が出来たところかと
     思います、戦後から震災まで65年かけてあの町が出来たのですから、
     焦らないでじっくり作り上げていけばよいのでは



    南浜町・ひばり野に濡れ佛さんと呼ばれた仏像が有りました、しかし津波
    でこの台座から海に流されていってしまいました、まだ見つかっていません


     

     南浜町の風景これだけの空き地が有ります、好きなように復興公園を
     作れるのだそうです、貴方だったらどのようにしますか目下思案中です
      昔競馬場が有ったそうです





2014年1月14日火曜日

NO 160  石巻のじぃじぃから新年のご挨拶

   

                        新年明けましておめでとうございます

             今年も石巻のじぃじぃを宜しくお願いします
          

           
               2014年1月1日 牡鹿半島から初日の出


    昨年末四国遍路の旅に行って来ました、長らくご無沙汰していましたが
    無事帰って来ました。88箇所の所87箇所回って来ました、どうしても雪
    の為、石鉄山の中腹にある60番札所 横峰寺に行くことができませんで
    した、残念です 満願成就・結願とは行かず和歌山県、高野山に行く
    ことが出来ませんでした、また時間が有ったら伊勢神宮にも参拝して
    こようと思っていましたがこれも行かないで終わってしまいました、その
    為年末31日に石巻に戻って来ました、行くときはカーフェリーが欠航で
    12/20の夜に石巻を出発して帰ってくるまでの走行距離3500Km 、旅行
    日数11泊全て車で寝泊りし風もひかないで無事戻ることが出来ました。
    
    31日は除夜の鐘を聞いて日和山神社に参拝して来ました、震災前は
    欠かさず何十年と参拝して来ましたが、震災のあまりのひどさに御参りを
    控えて来ましたが、今年で三年がたち少しは変わらなければと思い
    参拝して来ました。その後金華山の初日の出の写真撮影をして来まし
    た。忙しい年末でしたので2日から5日まで一人でいる実家のお袋と
    ゆっくり過ごし少しは親孝行の真似事をしてまいりました。 
    皆様は良いお正月でしたか、今年も一日一日を悔いの無い様に過ご
    して生きたいと思っています、どうぞ今年も石巻のじぃじぃを宜しく
    お願いします。
   
    追伸石巻市内は震災津波で壊された建物の処理も終わり、防波堤工事・
    地盤沈下の土地の嵩上げ・被災者の住む住宅の建設などが進むと思
    われます、皆様に報告しますので石巻を被災地を忘れないで下さい。




     牡鹿半島黒崎 御番所公園から2014年1月1日初日の出です。あの初日
     の出が登った所が津波の震源地でしょうか、今年でもうすぐ3年がたちます。



   
      四国遍路で掛け軸作ってきました、一箇所弘法大師の下の所に納経
      朱印が押されていないのがわかりますか、60番横峰寺の朱印が有り
      ません、又結願すると弘法大師の左上に一番札所の霊山寺と右上に
      高野山の朱印を頂いて完了となります。暖かくなったら行こうと思って
      います。


  
    初日の出を撮影し牡鹿半島の町鮎川の風景です、津波で壊された町は
    綺麗に片付けられ空き地だけが目に付きました、私が45年前仕事でこの
    街に始めて来た時はまだ鯨捕鯨が盛んにやっていて町全体が鯨の油
    の臭いが立ち込めていました、岸壁近く食堂で鯨の刺身定食を食べた
    のを思い出します。今日は久しぶりに金華山に初詣の人たちが沢山
    来て岸壁は賑わっていました。



     鮎川から最初の浜が十八成浜(くぐなり浜)砂浜が綺麗で砂の浜を歩くと
     キュキュと鳴くと言われていました、子供達を連れて海水浴に来たことが
     ありました



       昔海水浴をした砂浜には大きな石や木が打ち上げられていました、
       でも海の色は昔より綺麗になったように思われます




    この浜はいち早く津波で壊されたのにこの様に新造船が置いて有りました、
    漁業をする人々が戻ってきているのでしょう、昔の様な賑わいは戻らない
    かもしれませんが、少しづつ頑張っています


     漁業等の道具を入れて置くコンテナにボランティアの 人たちが書いて
   くれた絵が目立っていました、早く建物が建てられるようにして欲しい物です。



                看板や地区名の入ったバス停が目立ちます




      電気・電話が復旧し道路脇を何処までも続いています、早く皆戻って
      おいでよって言っています


     家などの建物が流され片付けられて綺麗になった場所に柿木が紅い色
     付けて成っていました、津波が来たのに枯れないで残った柿の木です、
     何時までも残して欲しい物です。