2011年10月17日月曜日

NO71 二週間ぶりです、ご無沙汰しました

二週間ぶりにブログを書いています。10月8.9.10日の三日間は福島・
宮城・岩手の被災地に対して三重県鈴鹿市で行われる自動車のレース
F1の招待が当たり 孫と一緒にレースを楽しんで来ました。
なぜ鈴鹿のF1のレースに応募したかと言うと鈴鹿には、20年位前に
子供達は大きくなり、3年程転勤で震災で亡くなった妻と二人で過ごした
思い出の場所が有るからです。

10月16日は町内で一番年配のおばちゃん三人組みと福島の秋を楽しんで
きました。朝は雨でしたが、福島に近づくにしたがって晴れてきて午後には
汗ばむほどの良い天気に見ぐまれてきました。一緒に行ったおばあちゃんは、
震災後から私に何時も声を掛けてくれて励ましてくれた方々です。震災のあと
片付けが、一段落したら温泉に行こうねと話して来て頑張ってきた仲間です。
腰の曲がったおばあちゃん三人組ですが町内で一番元気です。
行き先は福島にしました、福島は妻と13年過ごした所で、今は原発の放射能
で温泉地はピンチと聞いたからです。
       
               
                 福島頑張れ石巻も頑張っているぞ。

 


吾妻小富士に行く道路から見えた紅葉がとても綺麗でおばあさんたちは
とても感激していました。赤色の木が多くて山がとても綺麗でした。



ここは福島吾妻総合運動場の銀杏並木です、まだ少しイチョウの黄色
には早いですがとても綺麗でした。


福島市中野不動尊で震災で亡くなった方の冥福をお祈りしてきました。



       この鈴鹿サーキット第一コーナー立ち上がりからS字カーブまでの上りの
       ところに招待された人の席が用意されていました。一番面白いところで
       レースカーの爆音の凄さにビックリしてきました。


       この写真はスタート直後の第一コーナーの様子です。スタート直ぐなので
       車が沢山見えています。


      
     日本中から車のレースが大好きな人々が集まってきています。鈴鹿にいる時
     に妻と一緒に身に来たことが有りました。妻もそのときは、わくわくした顔をして
     いたことを思い出しました。


     二十年前に転勤で鈴鹿で過ごした研修センターの入り口です、戦争当時は
     海軍の航空基地があったところで、会社に入った昭和四十四年にはまだ戦争
     当時の建物がありました。今では下の写真の桜並木と入り口にある建物が
     残っています。



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