2014年3月18日火曜日

NO 166 震災・津波から四年目を迎える東松島市から石巻市南浜町

     最近東松島市の復興の様子が報道されていました、それを見るため
     松島から奥松島野蒜経由で石巻に帰って来ました、どこも復興計画が
     出来、図面が出来工事が造成工事が進められて来ました、最近まで
     復興が遅いと指摘が有ったが、山や田圃の造成・整地工事が進み
     造成団地が現われてくると直にでも住む事が出来そうに思えてきます。
     でもこれまで住んでいた所は地盤沈下した町はどうするのでしょうか、



    手樽地区まで元のJR線路が復旧されていました、そこから山に向かって
    新しい奥松島の復興団地に向かって工事されていました


     東名浜の陸橋から見えた野蒜の住宅地この広い土地はこの先どんな事に
     活用されるのでしょうか



      野蒜駅手前に復興商店が有りました、人が余り来ないこの場所では
      大変でしょうね、


   津波の後次の日電車から降りて歩いて来て最初に見た津波の後の風景は
   この野蒜小学校の風景でした、津波に流されてきた物であるけませんでした



     上の二枚の写真は野蒜小学校から登った山を削り造成が進んでいました、


     東松島市(矢本)の町手前45号線沿いの津波が来た田圃の復旧工事です、
     津波で田圃に引く水路の復旧が進められています


     矢本の航空自衛隊から石巻方向東の方を見た風景です、元はここは綺麗
     な田圃が続いていたところです


             

       大曲地区造船所のクレーンが見えます、今はただ空地、片付けられて
       地権者を表す紙が棒に下がっているだけ、向こうが海仙台湾


       ここは東松島と石巻市の境にかかる橋、震災の時壊れてしまい脇に仮の
      橋が作られ今もそこを復興ダンプが工業港、漁港からの物資を載せた
      トラックが走っています


         南浜町のがんばろう石巻の看板の前にバス停が出来ていました、
         市内循環バスが走り出したのでしょう、



     昨年空き地に作ってくれた花壇今年も綺麗な花を咲かせて私達を亡くなった
     方を慰めて欲しい物です





      上三枚の写真が北上川に作られようとしている防潮提工事の基礎となる
      工事風景です、ここに5.2mの防潮提が作られ私達を守ってくれます




        この場所南浜町に後世に伝える復興公園が作られるそうです、
        今皆の意見を取りまとめ中



                  今日の中瀬公園の風景です




    この写真は日和山の中瀬公園を眺められる展望台に展示して有ったものです、
    真ん中の人工芝の上でスポーツをしている家族が写っています、こんな公園に
    戻して欲しい



2014年3月17日月曜日

NO 165 震災・津波から四年目を迎えました、今日の石巻の風景 

    
    今日は2014年3月11日震災・津波から四年目を迎える朝が来ました、
    今日もあの日と同じく寒い朝です、歩道が雪でいくらか白くなっています、
    あの日私はこの場所から朝六時三十分の電車に乗るため妻に見送られ
    出かけました。あれから三年間まだ心の整理はついていませんが生きて
    来ました、唯忙しく毎日を過ごして来ました、今日の予定は朝八時から
    町内のミーティング震災後毎日町内皆と朝顔合わせをして元気で頑張って
    いるか心配したものでした。その後私は日和山に登り南浜町に降りて日和
    大橋を渡り湊に妻が発見された場所に行くつもりです。そして内海橋に戻る。
    歩いて一周してくるつもりです 三月十一日今日の石巻の風景を案内します。



      前を歩いている人は近くで寿屋と言う酒屋を営んでいるおじさんです、
      昨年は孫が生まれ嬉しい賑やかな一年でした、幾らかですが生活が
      変わってきています、風景はすっかり変わってしまいましたが。


    この角のお店今はハンバーグ屋さんになりましたが、震災の時この地区
    の避難物資受け渡しや集会所として生きていく為に皆で話し合った場所
    です、この場所で皆とあの時を忘れ無い様にミーティングします


     今日の話題は街が町内がどの様に復興されるのか町内会長から説明が
    ありました、下の図小学校市役所通りの道路拡張しての街づくりが話題です




      我家が有る町内に松川横丁を作る計画が説明されました。とにかく
      年寄りが歩いて買い物散歩が出来る場所を作って欲しい物です


    今日のミーティングの最後は須田先生のハーモニカで上を向いて歩こうと
    故郷を歌って終わりました、震災直後朝のミーティングの後にハーモニカ
    の演奏を聞き皆と力を合わせて生きていこうとした事を思い出します


     今年も津波でヘドロで一杯だった庭の紫陽花が咲きました、先日の大雪
     で蕾は傷んでしまいましたが、元気で今年も咲いてくれています、この庭を
     見るたびにあの時ボランティアで来て助けて、励ましてくれた笑顔の皆の
     顔が思い浮かびます。


     この通りはもう直ぐ道路を拡張子新しい商店街に生まれ変わるそうです、
     街に住み日常生活に必要な物を散歩しながら買い物を出来る日が来る
     のを楽しみにして待っています


     この通りは門前通りです、石巻にもこんな立派な通りが有ったのです


     今日日和山に撮影に行こうとして、街から日和山に登る道路を歩いて
     いたら、60才過ぎの二人の男性がこの坂を電動自転車で上ってくるのを
     見ました、そして日和山の上まで登っていきました、降りることなく登り
     きっていきました、郵便配達のバイクでさえやっと登る道を、登る電動
     自転車 技術の日本の素晴しさを痛感しました、思わず展望台にいる
     彼らと握手をしてしまいました、東京から被災地を見に来た方でした。
     


    川岸の川の中に見える鉄骨まで埋めてこの上に5mの防波堤が出来るの
    だそうです、下の写真は埋め立てた川岸です、



      日和山の撮影するいつもの場所からの昔住んでいた社宅が良く見えた
      場所からの風景、津波で流された自動車が見えていましたが



      日和山から階段を降りて門脇・南浜町この間最後まで建っていた市立
      病院跡をとおり日和大橋に歩いて来ました、今日もあの日同じく雪が
      降り寒い日です、


     海岸通り雲雀の道路から門脇小学校を振り返ると何も無く私が住んで
     いたあの風景は何処にいったんでしょうか、私の思い出は何処にいった
     んでしょうか、


    日和大橋から南浜町・製紙工場・工業港を眺めた風景、住宅地で家が
    沢山建っていて樹木が多くサッカー場・公園が有った所でした。


     北上川の河口写真に写っているのが沈んでしまった北上川河口の灯台
     です、津波はここを登ってきたのですね


           日和大橋下の湊地区、河口の工事が進んでいました


    日和大橋から漁港・渡波・女川地区へ行く道路大きな缶詰が流されて有った
    道路です。中央に松並木が有り日陰を作ってくれていたのに



      北上川河口から石巻の町を眺めた風景真ん中に中瀬に有る漫画館・
       内海橋が見えます、


   湊の川岸から見た中瀬のハリスト教会この角度から撮影した写真は始めてかも 




   湊地区も津波でスッカリ流されてしまい今は防波堤作りが進められています


       内海橋から石巻市内側上流の防波堤となる土台が出来ています


     内海橋から下流側もう直ここまで工事が来るでしょう、案内板が見られます

2014年3月6日木曜日

NO164   震災津波からもうすぐ三年、石巻市内の復興風景

 
    津波から三年が経ちます、今石巻市内は津波で壊れた街は綺麗に片付け
     られ復興へ向けて住民説明も終わり、計画に則り工事が進められようと
     しています。石巻市内で一番早いのが北上川沿い防潮堤の建設に向けた
    土台となる基礎部分の工事が進んでいます。又復興住宅や学校等の公共
    施設建設場所の造成が進められています。市内至る所でダンプカーに
    会います、この間まで瓦礫運びのトラックでしたが、近頃は造成の為の土を
    運ぶダンプカーが目立ち始めています。被災地に車で来るときは安全運転
    に注意してください。工事車両の迷惑にならない様に注意してください、
    今一台でもダンプカーが壊れたら工事が遅れるのですから


       もう三年が起つのですね、早いですね、なかなか忘れられません、
       思い出すと涙が出てきます





      市内住吉町にトレーラーを改造したコーヒーショップ「市」が有ります。
      これが看板です、今どの辺りまで復興が進んでいるのでしょうか、この
      建っている敷地は小児科病院が有った場所です、昔子供が熱を出した
      ときに連れて行ったことを思い出します。


      この輝く人を撮影する為に久しぶりに中瀬漫画館に行って来ました、
      この像は私と孫の思い出の場所に起っていました。休みの日には
      孫と二人で遊んだ遊具が有った場所でした。この場所にずーと
      置いて欲しいと思います。


            石巻市内の我家の前、車も行き交うように成りました


        近くの瀬戸物店も改修工事が終わり素敵な店構えになりました


     改修が進んでいる地区の隣はまだこの様に片付けられたままの街が
     有ります、正面は中瀬・漫画館・湊方面に行く内海橋ですどの様に
     復興させるか計画が出来ていないようです


          街の中のビルに漫画館のアンテナショップが出来ています

                                  

    川岸の埋め立てた所と前から有った堤防です、この場所に下記の様な
    防潮堤が作られようとしています、幾ら立派な防波堤を作ってもその中で
    安全と言うことは無いと思います、一人一人が自分を守らなくては、

         「てんでんこでとっとと逃げなくては」これが大事なこと





     天気が良かったので住吉公園まで来ました、公園の上に有る鐘楼跡に
     登りました、下の写真から津波が押寄せてくる映像を見た方がいると
     思います、石巻市の広報映像に有ったと思います
     この住吉神社をどの様に残すか、今皆で検討している最中です、



     住吉公園前の地盤沈下対策として作られた防潮堤がこの三年間石巻
     市内を守ってくれました。緊急に作り上げた岸から続いた朱塗りの橋も
     渡れない工事が渡れても石巻の名前の由来巻き石の上の松は枯れて
     しまっています。
     これからどの様に復興し人々が戻り、賑わいを取りもと゛せるか


        右に曲がると中瀬の漫画館に行く道路岡田劇場が有った交差点
        木造作りの古めかしい映画館 岡田劇場息子・仙台の孫と釣りキチ
        三平の映画を正月に見に行ったことを思い浮かびます。


     今日も漫画館のカラクリ時計が時間になると音楽と共に降りてきて観光
     に来てくれた皆さんを楽しませてくれています、



     漫画館の前に有るハリスト教会津波で壁は壊されてしまいましたが建物は
     残りました、あの津波に流されないで残りました、もう直解体され保存される
     様な話は聞きますが、具体的な計画は無いようです。必ず何時の日にか
     またこの場所に戻ってきて欲しいと思います


     

       上の写真二枚、石巻市内から渡波地区海岸から離れたこの
       場所に新しい街が出来るそうです、田んぼだったところが宅地
       に改良されていました。



     北上川河口に架かっている日和大橋から製紙工場側 南浜町を眺めた
     風景です、つい最近までこの方向に文化センターや市立病院・津波で
     流された車が集められてきていました、今はこんなに綺麗に何にも無い
     野原になっています。