今日は2014年3月11日震災・津波から四年目を迎える朝が来ました、
今日もあの日と同じく寒い朝です、歩道が雪でいくらか白くなっています、
あの日私はこの場所から朝六時三十分の電車に乗るため妻に見送られ
出かけました。あれから三年間まだ心の整理はついていませんが生きて
来ました、唯忙しく毎日を過ごして来ました、今日の予定は朝八時から
町内のミーティング震災後毎日町内皆と朝顔合わせをして元気で頑張って
いるか心配したものでした。その後私は日和山に登り南浜町に降りて日和
大橋を渡り湊に妻が発見された場所に行くつもりです。そして内海橋に戻る。
歩いて一周してくるつもりです 三月十一日今日の石巻の風景を案内します。
前を歩いている人は近くで寿屋と言う酒屋を営んでいるおじさんです、
昨年は孫が生まれ嬉しい賑やかな一年でした、幾らかですが生活が
変わってきています、風景はすっかり変わってしまいましたが。
この角のお店今はハンバーグ屋さんになりましたが、震災の時この地区
の避難物資受け渡しや集会所として生きていく為に皆で話し合った場所
です、この場所で皆とあの時を忘れ無い様にミーティングします
今日の話題は街が町内がどの様に復興されるのか町内会長から説明が
ありました、下の図小学校市役所通りの道路拡張しての街づくりが話題です
我家が有る町内に松川横丁を作る計画が説明されました。とにかく
年寄りが歩いて買い物散歩が出来る場所を作って欲しい物です
今日のミーティングの最後は須田先生のハーモニカで上を向いて歩こうと
故郷を歌って終わりました、震災直後朝のミーティングの後にハーモニカ
の演奏を聞き皆と力を合わせて生きていこうとした事を思い出します
今年も津波でヘドロで一杯だった庭の紫陽花が咲きました、先日の大雪
で蕾は傷んでしまいましたが、元気で今年も咲いてくれています、この庭を
見るたびにあの時ボランティアで来て助けて、励ましてくれた笑顔の皆の
顔が思い浮かびます。
この通りはもう直ぐ道路を拡張子新しい商店街に生まれ変わるそうです、
街に住み日常生活に必要な物を散歩しながら買い物を出来る日が来る
のを楽しみにして待っています
この通りは門前通りです、石巻にもこんな立派な通りが有ったのです
今日日和山に撮影に行こうとして、街から日和山に登る道路を歩いて
いたら、60才過ぎの二人の男性がこの坂を電動自転車で上ってくるのを
見ました、そして日和山の上まで登っていきました、降りることなく登り
きっていきました、郵便配達のバイクでさえやっと登る道を、登る電動
自転車 技術の日本の素晴しさを痛感しました、思わず展望台にいる
彼らと握手をしてしまいました、東京から被災地を見に来た方でした。
川岸の川の中に見える鉄骨まで埋めてこの上に5mの防波堤が出来るの
だそうです、下の写真は埋め立てた川岸です、
日和山の撮影するいつもの場所からの昔住んでいた社宅が良く見えた
場所からの風景、津波で流された自動車が見えていましたが
日和山から階段を降りて門脇・南浜町この間最後まで建っていた市立
病院跡をとおり日和大橋に歩いて来ました、今日もあの日同じく雪が
降り寒い日です、
海岸通り雲雀の道路から門脇小学校を振り返ると何も無く私が住んで
いたあの風景は何処にいったんでしょうか、私の思い出は何処にいった
んでしょうか、
日和大橋から南浜町・製紙工場・工業港を眺めた風景、住宅地で家が
沢山建っていて樹木が多くサッカー場・公園が有った所でした。
北上川の河口写真に写っているのが沈んでしまった北上川河口の灯台
です、津波はここを登ってきたのですね
日和大橋下の湊地区、河口の工事が進んでいました
日和大橋から漁港・渡波・女川地区へ行く道路大きな缶詰が流されて有った
道路です。中央に松並木が有り日陰を作ってくれていたのに
北上川河口から石巻の町を眺めた風景真ん中に中瀬に有る漫画館・
内海橋が見えます、
湊の川岸から見た中瀬のハリスト教会この角度から撮影した写真は始めてかも
湊地区も津波でスッカリ流されてしまい今は防波堤作りが進められています
内海橋から石巻市内側上流の防波堤となる土台が出来ています
内海橋から下流側もう直ここまで工事が来るでしょう、案内板が見られます
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