2013年3月31日日曜日

NO138 今日は震災から二年石巻市渡波・女川・雄勝・大川・北上町の風景

     今回のブログは震災から二年を迎えた石巻市・渡波・女川・雄勝・大川・
     北上を撮影して来ました、3月5日に午後から時間が取れたので閖上・
     荒浜の撮影に行って来ましたNO137号 NO138は石巻圏の撮影何処
     の復興計画が出来上がり瓦礫の町はスッカリ整理され新しい町へ
     動きだしていました。


      
      個の堤防がえぐれているところが堤防決壊し渡波の町へ津波が押し
      寄せた場所です。堤防の向こうは石巻市漁港です。個の堤防の脇松
      林沿いの道路は私のサイクリング道路でした、夏海風を受けて走る
      のが好きでした。今はスッカリ無くなってしまいました。




      渡波の海岸脇 堤防下は住宅街でした、ここが昔は海水浴場だった
      そうです。良く妻が子供の頃、隣近所の子供たちを連れて海水浴に
      行ったんだよって言っていました。





      石巻線が女川手前の浦宿まで開通しました、線路工事を見かけ何気
      なく撮った写真の後日に新聞で開通を知りました。この踏み切りまで
      開通です。向こうは女川の町があったところです、線路脇の道路を
      走り女川へ入ります。





     女川の震災後のシンボルとも言える横倒しとなったビルです、周りは
     スッカリ整備されて湊は大部復旧されて来ましたが町の建物があった
     ところはこれからです。



      女川の町の中に見かけた復興看板です。5.4m国道を上げる話です、
      それより低い土地は如何するのでしょうか、国道を防波堤としてその
      内側に住むことに成るのでしょうか。




    石巻市雄勝町に行って来ました、個の写真は建物は見覚え有りますか、
    左の建物の上にバスが乗っている写真を見た人は多いと思います、もう
    すぐ建物は取り壊され、何も無い土地が生まれます。




     雄勝に何度か行っていましたが、今回発見したのがこのお寺です寺は
     中までスッカリ津波で流され、傾いていました、お寺が流され傾いて
     いるのを見かけたのは初めてなのでビックリしました。石巻の門脇の
     お寺は残っていましたから、また流されてきた物が中まで入り片付け
     られた様子は在りませんでした。これも二年経っていま持って片付け
     られていないのが珍しい如何したのかな。お寺の方は皆さん亡くなら
     れたのかな。




     この写真は大川小学校と追波川に架かる橋で北上町側の橋は流され
     今は仮の橋が架かっています。こちら側からの写真は初めてかとこの
     方向は道路が走り両川に住宅があったところです。



    この場所は大川小学校の前を海に向かって長面方向に進んだところで
    震災前は美しい田園風景見受けられた所で40年前からこの奥の港に
    釣りに出かけてきたところです。



   震災後復旧の為作られた道路で震災一ヶ月後は道路を作っているときでした。




     長面浦湖見たいな入り江です、海に出るところが非常に浅く後で海に
     面したところに港を作ったところで向こう岸の山の後ろが海になって
     いる為民家は津波で壊されなかった様でした、しかし震災後は復旧
     の手が届かないところかと思われました。



    今日は3月11日 上の写真は大川小学校のまだ見つからない子供たち
    を捜す宮城県警の方々です。見てください、この広いところを人の手で
    探してくれています。  ありがとうございます







        にっこりサンパーク北上町の丘の上にある運動公園です、
        今は仮設住宅になっています



    この写真は北上町にある釣り石神社でご神体は左上の大石です今にも
    落ちてきそうですが、今回の地震でも落ちなかった大石です、その為
    石巻地方では入試にご利益のある神社です。

2013年3月28日木曜日

NO137 仙台市 閖上・荒浜の復興風景


    3月5日午後から時間が出来たので仙台市閖上・荒浜に行って来ました、
    前に来たのは一年前になります。その時は唯壊された家や車が片付けれ
    たままで家の土台が残っていました。閖上地区はまだ整地等はされていま
    せんが、荒浜の田畑は整地が進められ直にでも利活用が進められる様に
    整地されていました。



      震災前は地平線のところに松林が続いていましたが今は数えられる
      ほどになりました。その松林の向こうは仙台湾で震源地から真っ直ぐ
      津波が向かって来たと思われます。真ん中の川は名取川です


      閖上の町へは昔は仙台市内からこの土手を歩いて魚を運んだのだ
      そうです。土手の脇にある松並木は健在でした、あんどんの松と
      呼ばれ目印になってきた松だそうです。



     閖上の町の真ん中に日和山と呼ばれた丘の上に湊神社が有りました。
     神社の前には震災前の閖上の町の写真が飾られていました。




            日和山の湊神社脇から仙台市内を眺めた写真です、
            仙台市内のビルが霞んで見えていました


       神社下の空地においてありました、流されないで残った福の神かな
       きっとご利益が有ると思います、


      震災で流されて何も無い荒地の道路脇に電柱が整然と建っています。
      この道路の脇から復興されていくことでしょう。


           津波で流され取り壊された閖上の町だったところに
           2軒の家が残っていました、



      閖上の町から橋を渡り荒浜から見た風景です、ここは田畑続いて初夏
      の稲の緑が美しい地区でした、今はブルドーザーで整地され活用される
      を待っていました。



     人は住んではいませんが温室ハウスが見受けられ嬉しくなって来ました。
     人間はこうでなくては、いくら災害に遭おうとも土を耕して食物を作る、
     これこそが日本人農耕民族、


     唯広々とした土地が向こうまで続いています、次は何が出来上がるのかな


NO136 3月11日 震災から二年石巻市内の風景 

    
     今日は2013年3月11日震災から二年が経ちました。石巻市内は少し
     づつ復興計画が確定し市民に公表され建築制限が解除されたのを
     受けて、建設工事が進められるようになって来ました。我家のお店にも
     障害者施設の子らが作ったバームクーヘン等の洋菓子店が開店しました。
     理事長のお話で利用者の子らが自由に散策出来る町を作りたい、その
     立ち寄りお店を街中に何箇所か作りたいと言う話を伺い、是非我家に
     と言う話から出来上がりました。開店から一週間、地元の皆さんや新聞
     を見た方のお客様で賑やかです。私も食べてみましたがとても美味しい
     バームクーヘンでした。特に気に入ったのはスフレでとてもコーヒーに
     合います。一度で好きになりました。是非お店でコーヒーとスフレで
     石巻市内の復興状況を眺めに来てください。

               中央二丁目 お店の名前は「 輪 」です

              


                 「 中央二丁目 お店の名前は 輪 です 」 



              

    もう一つ皆さんに紹介したいのがこのお地蔵様です。鎌倉のお寺の庭に
   置いて有る写真を見て欲しいと思い調べてみたら宮城県に在住の彫刻家で
     平泉さんと言う方でした。早速譲って頂きお店に置かせてもらう事に
     しました。きっとお店のシンボルになることと思っています。歩道の
     歩行者の方にこの愛くるしい微笑を向けてくれています。とにかく
     癒される微笑です。見に来てください。




     久しぶりに門脇小学校の有る地区に行って来ました、この小学校及び
     この地区は当日燃え上がっていた所で今も小学校の脇に燃えた車が
     置いてありました、持ち主が見つからない為処分に困っているので
     しょう。スッカリ赤錆で今にも朽ちてしまいそうでした。


   
     震災に有った地区を高校生が練習をしていました。本当は何処にでも有る、
     何時もの風景なのですが、今日は何て良い日和で二年前はなんだったんだ
     ろうと思わせる風景でした。そして私たちに任せて前の様に楽しい町を
     作って上げるからと言っている様な後姿でした。





      この写真は石巻工業港に運んだ瓦礫を粉砕選別している場所です。
      震災当時は埋め立てが進んでいる途中の場所でした遠くから見える
      瓦礫は整理されているようです。今日の新聞に東京に運んで処分
      する運送は終了すると言っていました予定量が終わったそうです。
      でもまだこんなに有ります。市内の瓦礫はここだけでは有りません。



     対岸湊地区に有る鈴木造船所で新造船がもうすぐ完成進水式を迎える
     のが見えていました。市内で新造船を作れるまでになったんです、
     皆頑張っています。



       宮城県警の方が北上川河口で今もって行方不明の方の捜索をして
       くれていました。我家も孫が一人見つかっていません。
       何処まで行ったのでしょう。



    もう直壊されるのではないかと思い記念の写真を撮り残そうと思います。
    この学校に登ったら助かると思ったことでしょう




    昔住んでいた社宅の場所からの写真です、今は瓦礫は片付けられて
    空地と水溜りが見えています




    南浜町の交差点近くの廃車置場に消防自動車が固まっておいて有り
    ました。津波が早くて逃げる間もなかったのでしょう



    石巻漁港の風景です、土地が嵩上げされてその上に水産加工場が
    建設されていました


      漁港の端に公園があり向こうに見える地区は渡波です、この地区で
    一番高い場所はこの堤防の上です。そこに避難場所が書いて有りました、


2013年3月16日土曜日

NO135  今日は3.11 石巻は 今日で震災から二年が経ちました


   今日は2013.03.11あの震災から二年が経ちました。石巻市内は静かに
   この日を迎えています、夕方から光の供養が有ると言うので2時46分の
   震災から津波が来たと思われる17時に我家から日和山まで歩いて登っ
   来ました。今日もあの日と同じく朝から寒い一日でした。市内は少しづつ
   ですが計画がまとまり地区毎に箱物作りが進められています、今日は
   月曜日会社を休んでしまいました、朝から日和山ー南浜町ー湊ー渡波
   ー女川ー雄勝ー大川ー北上町を昼ご飯も食べないで写真撮影をして来
   ました。復興はそれぞれの地区の思いを基にして進められているように
   思います。しかしその地区の市民のまとまりが得られない所は進んで
   いないようです。後ろから後押しをしてくれる地区は早い様に思われ
   ます、しかし大手デベロッパー成る者が私欲の為に後押ししている所は
   どうなるのか心配です。石巻市内は大きな箱物の計画は4つ程進められ
   ています。これによって人が市内に戻ってくれば商店は賑わうことで
   しょう。建物が出来上がる2年後が楽しみです。しっかり監視していき
   たいと思います、本当は第三者の監視人が必要なのかもしれません
   、この復興で使われる費用は日本全国の皆さんの税金なのですから。




      石巻市内中央は北上川沿いに有るマルシェにおいてキャンドルに寄る
      供養の集いが行なわれました、市内はそれぞれの家庭において静かに
      供養が行なわれました。



     今日は風が強い一日でしたが市内でお坊様を見かけ思わずシャッターを
     押してしまいました、風に負けない力強い歩行にカメラを向けてしまい
     ました。      ありがとうございます



     先日宮城県川崎にいる彫刻家の方からお地蔵様をゆづって頂きました。
     気に入っています、我が家のお店の開店まで時間があるので元町内会長
     のお店に置いてもらいました、笑顔がとても素敵です。



      3月16日にお店が開店します、お店の名前は輪 利用者と市民皆さん
      これから直一層繋がりが深まればとの思いが込められた名前かと
      思われます。


      中瀬の漫画館に行く北上川に架かっている内海橋の歩道は津波で
      壊されていましたが、3月23日のリニーアルオープンに向けて修復
      されました。


              北上川に架かってる内海橋からの風景です、
              あの日と同じく冷たい北風が吹いています。


          北上川沿いの門脇地区、スッカリ整理されています向こうに
          堤防が作られる予定です、


    北上川脇にあるNTTの建物の横に屋上まで続く階段が作られていました。
    NTTの建物は震災津波にもビクともしない頑丈な建物ですから津波が来た
    ときの避難ビルには打ってつけです。全国の避難ビルにNTTのビルを利用
    すべきかと思います。




      もう見飽きたかも知れない石巻市内の代表的な場所です、早く新しく
      生まれ変わる為に待っています





       日和山から北上川沿いを歩いていたら工事事務所の前に掛けてある
       工事工法の看板を見かけました、5mの堤防が作られる予定です



     この北上川沿いも堤防が作られたらこの様に見ることが出来なくなります、
     堤防に上がり川面を眺めるようになるのです、やっぱり二度と涙は流したく
     ありません。仕方ないのでしょうね、北上川沿いにはヨットも係留されるよう
     になって来ました、石巻は海の町ですから、私は何時になったら海で遊べる
     ようになるのかな。