2011年8月27日土曜日

NO47 20110827宮城県女川町震災津波後の風景

          今日は天気も良かったので女川まで復興状況の写真を撮りに
          出かけてきました。津波の後5ケ月が経ちあの津波で壊された
          建物は片付けられて綺麗になって雑草だけが我が物顔でよく
          伸びていました。海水が土地を覆ったのに塩水に浸ったのに、
          残っている建物は横倒しになっているビルと流れなかったビル
          だけが有りました。

       左の坂の上の建物は女川私立病院です。この坂の上の病院の一階
       まで津波が上がったそうです。高台に逃げなさいといわれていますが、
       高台とは何メートル上なのかな?


       病院の庭に植えてある垣根の木が枯れていました。本当にここまで
       津波が来た証拠です。向こうに見えるのが女川駅の方向です。



        上の垣根越しに見える建物を写した写真です。だいぶ港から中に
        入ったところに在るビルですがビル以外は何もなくなっていました。


         港の岸壁近くに在るビルは引き抜かれて横たわっていました。
         津波の大きさ高さがビルを引き抜いたのでしょう。

       この写真は女川から出島・江ノ島へ行く定期船の岸壁です、昨年秋
       には岸壁近くを1m位のサケが泳いでいるのを見た事を思い出しました。

             このビルも引き抜かれて横倒しになってしまったビルです。
             向こうに見えるビルは観光市場てす

NO46 20110827石巻市 渡波の津波後の風景

     石巻から女川に行く途中に渡波町が有ります、万石浦・サンファン等が有り、
     家から30分位で行ける事も有ってよくドライブに行ったところです。昭和44年
     石巻に就職した時、始めて船に乗ってカレー釣りをしたのがここ渡波の万石浦
     でした。最近ではサンファン館のレストランから眺める海が大好きで寒い北風
     の日レストランで日向ぼっこをするのが大好きでした。昨日見に行って来た
     ところサンファン館の建物は現在修理中でまもなく終える様子でした。今年
     の冬には又日光浴が出来るでしょう。


       この写真は渡波から石巻魚市場方向を取ったもので手前の石を新しく
       積んだところが津波で決壊したところです。昨年の夏この先で孫たちと
       海水浴をしたところで妻と日曜日には市場に妻と買い物に来たところです。

   
         石巻の魚市場から海岸線に沿って渡波に来ると在る幼稚園です。
         昔妻が子供の頃この辺に海水浴に来たところだそうです。良く
         思い出話をしてくれました。


         渡波の防波堤の下の住宅街です、この先に万石浦が有ります。

         万石浦に在るサンファンです、山陰に有るので津波の影響を余り
         受けていないようです。現在修理をしていてもう直ぐ開館できそうでした。

NO45 20110827石巻市湊の津波後風景


        久し振りに湊に行ってきました。妻が見つかった所の近くは瓦礫置き場
        になっていてトラックの行き来が激しく近づくことが出来ませんでした、
        街の片付けはまだまだですが漁港の方の復興は進んでおり漁船が沢山
        接岸していました。これからは秋刀魚の季節で 早く漁港の水揚げする
        場所の復興を皆待ち望んでいます。


         日和大橋の下に津波で流された車の置き場が有りました。壊れて
         いなくて塩水に浸かってしまった車電気系の故障に繋がるので乗れ
         ないのだそうです。私の車も駐車場から隣の軒先に流れてしまいました。

        道路脇の瓦礫置き場 瓦礫置き場のほとんどは元運動場を活用して
        おります。この瓦礫の上に土を盛り防波堤とする構想が有ります、その
        為か海岸線沿いに瓦礫の山が繋がっていました。
 
          石巻漁港に待ちに待った漁船が多数係留されており漁場へ向う
          準備をしていました。でも写真手前のように岸壁はまだまだ修復
          が進んでいません。船が接岸されている岸壁は、よく買い物の帰り
          に妻と寄って海を眺めたところです。

       石巻方面から湊へ向う方向で石巻日和大橋から道路の真ん中に近くの
       缶詰工場から流れて来た缶詰の看板が有りました。道路の向こうは渡波
       ・女川へ行けます。

      日和大橋の下に瓦礫置き場が高く積み上げられていました、写真を撮った
      場所は対岸の石巻市立病院から取りましたそれほど多量の瓦礫でした。

NO44 2011.08.27 石巻市 南浜町の震災後風景

       女川に行く途中南浜町を眺めて行きました、瓦礫の片付けが進み海岸脇に
       高く積み上げられていました。昔の町並みの印象派すっかり有りませんで
       した、今回私が就職して始めて石巻に来た時下宿した大家のクリーニング
       工場が津波に負けないで経っていました。これまで遠くから眺めていました
       が残っていました、何も解らない私に色々教えてくれたおじさん・おばさん
       先輩たちの顔が浮かんできました。


      日和山の下に在る墓地のお墓をボランティアの方が清掃してくれていました。
      皆さんのおかげで石巻の復興は進んでいます。 ありがとうございます。
      「ただ感謝の言葉しか有りません」

           今回の石巻市内で最も悲惨な場所と思われる門脇小学校です。
           津波と火事に見舞われたところで校舎は黒く煤けていました。

       この写真の上の山は日和山です。石巻に来た人は必ずといっていいほど
       日和山から眺め、南浜町・門脇町・中瀬公園 漫画館・湊が一望でき震災で
       亡くなった方へ冥福を祈ってくれる所です

      日和大橋からの海岸線脇 ひばり野海岸 に積み上げられた瓦礫の山です。
      手前の雑草は流された住宅地に生えて来たものです。

      このビルは私が石巻に来て結婚する時に下宿のクリーニング屋が建てたビル
      です、もう直ぐ40年位経ちます。

2011年8月26日金曜日

NO43 2011.08.26東松島(野蒜)津波5ヶ月後の風景

      私が津波後の悲惨さを見たのはここ野蒜(東松島)の町である。電車の中で
      一夜を過ごし歩いていった所です。そのため何時も気にかかり今日も野蒜
      経由で石巻に帰ってきました。乗っていた電車は今日もあの場所に有りま
      した。右側の踏み切りは震災の夜一晩中停電なのに鳴っていて赤いランプ
      が点滅し雪で白くなった線路を照らしていました。
       震災当時電車は山の中で止まり津波を受けることなく一夜を過ごすことが
       出来たのですが、今電車は山の中から下に降ろされており鳴瀬川の土手
       から見ることが出来ます。
        野蒜海岸夏には海水浴の人々で賑わうところです、向こうに見える 
        町は石巻です、この海岸を砂浜を津波が入って来たのです。今日は
        いつもと同じ砂浜が遠くまで続き白い波が見えていました


         写真右側の堤防は津波で流された所を今は復旧されていました。

       堤防が流されて海水が入ってきた松並が美しい公園が有ったところは
       水が引かず、向こうの運動公園に瓦礫の山が出来ていました。

      この堤防は津波で壊されることが無かったようです堤防は低く海側
      になだらかな傾斜が付いていたので津波がこの上を乗り越えて行った
      ようです。

     上の堤防の反対側の道路です、この道路を行くと野蒜の駅にいけます、この
     道路の両脇には美しい松並木が続き良く妻とドライブに来たのを思い出します。

2011年8月24日水曜日

NO42 20110823フランスからパッチワークが送られてきました

             お盆も過ぎ久々の町内の集会にパッチワーク協会を通して
            フランスからパッチワークが届けられました。世界中の人々
            から温かい支援を受けて頑張って生きたいと思います、又
            在る町内では盆踊りが行われました、昨年より参加者が
            多いそうです、これは震災によって地区の人々の助け合う
            気持が強くなったから。このような地域の繋がり行事が
            長く続けばいいなぁ そうすればもっともっと助け合いの
            輪が強くなるのではないでしょうか、 孫が夏休みの宿題
            で夏野菜を使ったおかずを作ってくれました。 我が家の
            裏の横丁に小説の一説に載っている割烹が昔あったんです


          フランスからパッチワークのひざ掛けを頂きました、これから寒くなる
          時期を迎えるにあたってとても嬉しいものです
            送られて来たパッチワークの裏にアドレスが縫いこんで有りました。
           フランス語でお礼のメールを送りたいのですが無理なので日本語
           で送りました。しかし後でブログに翻訳機能が有るので日本語で
           送っても大丈夫と教えられました。世の中便利になったものですね。
          ある地区の盆踊り風景です、踊っている人の中には男性・子供達
          の姿が数多く見受けられとてもうらやましく思いました、きっとこの
          地区は震災の時皆で助けあって活きて来たのでしょう。このような
          地区は日本の元風景だったのではないでしょうか。

          孫が夏休みの宿題で夏野菜を使ったおかずを作ってくれました。
          妻が生きていたときに包丁をプレゼントし石巻に来た時は一緒に
          なって料理を作るのがとても楽しみにしていました。きっとこの料理
          を食べたら大喜びしてくれたことでしょう。

         我が家の裏の横町に千登勢と言う割烹が有りましたが今は有りません、
         小説にも乗った割烹だそうですその記念碑が横町の角に立っていました。

2011年8月17日水曜日

NO41 2011.08.16 お盆の送り火と石巻市内の高潮

        8月16日はお盆の最終日で暑い一日でした。我が家は新盆なので
        朝から供物を作りお供えをして妻と先祖を供養しました。新盆の飾り
        つけはインターネットや親類の方々に教わり息子や孫とてんやわんや
        で作りましたが綺麗に出来たと思います、夕方送り火をする為家の前
        に出たら高潮で町の中に北上川の水が上がってきていました。


         8月16日はお盆最終日で送り火をする日ですが、当日お昼頃に
         各お寺の山門などにお盆で使った飾り付けや供物を集めるところです


        玄関前で送り火と花火で送りました、孫からの一言 来年も帰ってきてね


         送り火も消えて妻と先祖は帰って行ったのかな。 来年までバイバイ


         街中にボランティアの人たちによる灯篭が飾られました。市内に
         幽玄の世界がただよっていました。
         街中に高潮による水が入り込んできました。日中に見るのは初めて
         なのでビックリしました。今日の高潮は149Cmだそうです。
         ここは石巻市広小路 最近聞いたのですがこの道路は昔川だった
         ところを埋め立てて出来たのだそうです
               内海橋から門脇に行く北上川沿いの道路です

            旧丸光前の道路で向こうは門脇一丁目 電話局の方向です

2011年8月14日日曜日

NO40 20110813新盆の我が家と石巻市内の夜、灯篭が沿道を

        石巻市内に有志によるによる灯篭がアイトピア通りに震災供養
        の為に飾られました。石巻に有る漫画館に、これまで作られた
        寄せ書き灯篭が飾られました。昨年のお盆は久し振りに会った
        人々で賑わっていたのですが、今年は人通りは有りません。皆
        さん各家庭で亡くなられた方の迎え火を焚いて、思い出に浸って
        いたのでしょう。しかし市内はまだまだ津波で水に浸った物の
        廃棄物がでて来ます震災の復旧には時間がかかりそうです。


     石巻市内灯篭の薄明かりが家庭から出された廃棄物を照らしています



        我が家でも先祖、妻・孫が帰ってくるように迎え火を焚き家族で
        皆で料理を作りました。きっと喜んでくれると思っています。昨年
        妻が作ってくれた料理にはかないませんが。


         家族みんなで二階に妻と先祖を迎える盆棚を作りました。昨年
         まで妻の指示でやっていたのでどのように飾り付ければいいのか
         解らなくて親類の方々や隣近所インターネットで調べて作りました。
         妻はまだ納骨していないのでお寺から帰ってきました。今夜は
         家族みんなと楽しく過ごしたいと思います。亡くなった孫もきっと
         帰ってきてくれると思っています


            ただ灯篭の明かりだけが市内を明るくしてくれました



          石巻市内漫画館のシンボル ロボコンも震災で亡くなられた
          方を迎えてくれていました。



        市内商店はまだまだ復興は進んでいませんが、震災から5ヶ月も
        過ぎて今後の復興への方向は出来て来たかと思います。


2011年8月13日土曜日

N39 2011.08.11 石巻市のお盆前の表情

         お盆前の石巻市内は川開きが終わり通常の静けさを取り
         戻しています。その中でも震災後家族を心配して居ながら
         帰れなかった人たちが一斉に帰途に着いて道路は11日
         から混雑しています。今日11日は震災後5ヶ月過ぎ様と
         しています。石巻市内は津波で流された家は取り壊され
         空き地が目立ってきました。取り壊しは市の方でやって
         くれるので淡々と進んでいます。ヘドロの清掃、瓦礫の
         搬出はボランティアが手伝ってくれました。さあ市民の
         皆さん復興しましょう。 え,市民の皆さん、僕ですか、
         これからどうしましょう。 まずは生活できるように家の中
         を修理しましょうか、でも先立つものが・・・。

 
      
         震災後5ケ月も過ぎ久し振りに夕方日和山に行って来ました。
         この写真は門脇・南浜町の風景です、水路に見えるところは
         道路です、北上川の水位が満潮で上がった為です。



       ほんとぼちぼち 少しずつ進んでいきます、でも私は疲れてきました。
       でも津波なんかに、負けたく有りません、少しずつですが家の修理から
       進めていきます。


          震災直後から市内のヘドロ片付け等をやってくれたボランティアの
          人たちによる寄せ書きです。彼らのおかげで市内は綺麗になりま
          した。私も家の中床下のヘドロ片付けに助けてもらいました。本当
          に感謝しています。


         市内北上川沿いに高潮対策防潮堤が作られています。これで
         市内への水の流出が抑えられるのでしょうか、私の家の裏の
         水路は北上川に続いており満潮干潮による水位で変化しています。


            ボランティアさんのトラックです。市内の瓦礫片付けに
            使用するトラックが沢山集まっています。