2011年11月13日日曜日

NO77  震災から8ヵ月後の女川・雄勝・大川・北上町

       震災から八ヶ月が過ぎて、久しぶりに女川町に行ってきました。女川には
       8月末に行ってきましたが町の風景は八月とはあまり変わっていません、
       変わりようがありません町は空き地があるだけで、船着場は地盤沈下で
       水が上がって来ています。道路だけが、かさ上げされています。運動場
       などの高台に有る空き地には、仮設住宅が建っていて、少し落ち着いて
       きたような感じを受けてきました。でも落ち着いて来た時に来るのはこれまで
       に無いほどの自分自身に対する落ち込みのような気がします、唯忙しく
       動き回っているうちはまだ元気です。これからが皆さんの温かい傾聴が
       必要になってきます。唯聞いてくれればよいのです。これまでは災害に
       対する恐れや逃避を続けてきました。しかし震災から8ヵ月がたち、
       自分自身を振り替える時間や季節と成ってきて、自分自身を責めたり
       どうしてなのかなと考えてしまったりとうつにはいって行くような気がします。
       どうぞ皆さん被災地に来てただ話を聞いてください。石巻にお茶飲みに
       来てください。お願いします。


     石巻から女川に入る高台からの風景です。地震の後津波が来るから高台に逃げ
     なさいとよく言いますが、高台とはどの位を言うのですか。この場所から眺めると
     高台の概念を考てしまいます。


    今写真は女川から出島・江ノ島行きの定期船の桟橋です。この時間は15時33分
    大潮に成る前の状況です・地震による地盤沈下によって海岸通りには海水が
    入ってきています。


     この風景の写真を見た方はたくさんいらっしゃると思います。この場所は雄勝町
     に今もあります。入り江の町雄勝の津波は木造の建物はすべて流してしまい
     バスも鉄筋作りの建物の上に押し流してしまっています


      雄勝町の伝統産業は習字に使う硯の製作です、硯作りに適した石を産出して
      います。硯の他に東京駅の屋根のスレートまたビリヤードのテーブル等に使わ
      れているそうです。


       大勢の子供たちが流された大川小学校前です。夕方に行ったのですが、
       大勢の方がまだお参りに来ていました。

       
        最近寄贈された石像です、じーと見ていると母のぬくもりと子供の
        安らぎが伝わって来ます。


     大川の入り口の所に信号がつきました、左に行くと雄勝へ、右に行くと津波で
     流された橋を渡り北上町へ、堤防の上を真っ直ぐ行くと河北町・石巻へ行く
     道路が続いていきます。

    上の写真の右の方へ行って橋をわたり終えたら正面の風景、夕日の風景がとても
    綺麗でしたので一枚、ここにも津波が入り夏には自衛隊の方が捜索をしていまし
    た。またポンプで入った水をかい出していました。

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