2011年12月28日水曜日

NO 99 小雪の石巻市雄勝町・大川の風景

    今日は大晦日です。紅白歌合戦を聞きながらこのブログを書いています。
    震災後本当に皆様にはご心配おかけしました。お世話になりました。
    今家の修理も進みもう直ぐ完成します。是非石巻に来てください、そして
    私たちが皆さんのおかげでここまで頑張れたことを見に来てください。
    そしてもっともっと良くなるように助けてください。  お願いします 
    
    本当にありがとうございました。来年こそは良い年でありますように 。

    今紅白歌合戦が終わりました。今年も何時もの正月と同じく日和山に
    御参りに行ってきます。今年2月に孫が生まれます。孫二人が亡くなり
    ましたが新たな命の誕生を迎えます。とっても嬉しいことです、無事に
    元気で生まれてきますようにお願いしてきます。   


      仕事で雄画像を追加勝に行ってきました、震災で壊された家は片付けられてきて
      います。でもここに住んでいた人たちは今どこに居るのかな、何処かの仮設
      住宅に避難しているのでしょうか、あの震災の日見たいに今日は小雪が降り
      寒い一日です瓦礫を片付けるダンプカーが走っているだけでした。

     この看板の様に全国の皆様ありがとうございます。私たちは負けません絶対に
     前の様にいや前以上の町を村を創って見せます


      雄勝町の震災のシンボルです。このバスは雄勝町に有った観光バス会社
      のものだったそうで、この他にも町内に何台か流されているのを見かけました






   ここは大川地区に入る土手の上の交差点です、ここの直ぐ下に大川小学校が
   あります。事故防止の看板はあの日のときと同じです。向こう岸近くの橋は流さ
   れてしまいましたが、今は修理が終わり渡ることができます。


     この石像は大川小学校前に有り、この日も白い雪が時折降ってくる寒い日
     でした、どなたかが赤ん坊を抱いている親子にマフラーをかけてくれました。
     後ろの小学校の建物の中にクリスマスツリーが有り夜になるとイルミネーション
     がつく様に生っていました、 


      写真右端の川の中に見えるのが津波で流された橋の橋げたです。あんなに
      上流に流されています。如何に津波の力が強力だったのかが判ります。

NO 98  石巻市工業港・東松島市 仙石線の修復が進んでいます


     震災から10ヶ月津波で壊された工場・道路・線路の復旧が進ん出来ています、
     震災前の状態には戻るのにはもっともっと時間が掛かると思いますが少しづつ
    少しづつ進んできています。特にJR仙石線の復旧が進んでいます。石巻
    から鳴瀬町までの線路復旧工事が進んでいました。また田圃の復旧も進んで
    いるようでした。


    石巻港行港の近くに有る製紙工場です、津波ですっかり流されてしまったので
    すが、社員皆の力で操業再開することが出来ました。震災前の何分の一かも
    しれませんが。


        東松島市矢本の国道脇のJR仙石線の線路工事用電車を見かけました、
        早く仙台まで電車が走ってくれますように、石巻市民皆の願いです。


    
     線路に沿って田圃の改修も進められていて綺麗な区画が見受けられました



     東松島市赤井地区で見かけた踏切です、最近まで津波ですっかり流されて
     いたところですが、線路下の石も新しく白い線路道が続いていました。

      石巻から吉田川・鳴瀬川までの線路が修復されていました、両方の川に
      掛かっている鉄橋は壊されていないので、橋を渡ったところから松島まで
      早く復旧して欲しいと思います。

   田圃の整備をしている重機の上に見えている白い続いているのが吉田川・鳴瀬川
   に架かっている鉄橋です。もうすぐJR仙石線の電車がここまで走ってきますよ、
   仙台まではもう少しですよ待ち遠しいです。



NO 97 山本・坂元地区の復興は何時になるのかな


      亘理から山本地区へ来ましたここもまだ復興が進んでいません津波で
      流され住んでいた人々の姿は見えませんでした、次ここに来るときには
      明日に向かって復興に地区の人々が皆で汗を流して働いている姿を
      見たいと思いました。



       田植えの機械が道端にありました、今年は田植えが出来るまでに復興は
       無理ですか、来年は田植えを見たいものです



      左方向は相馬・大熊市方向で下の写真は仙台方向です。どちらも線路は
      無く唯線路あとだけがそれぞれの市に向かって伸びていました



      閖上・亘理地区で見かけたお寺の復旧ボランティアです、流されたお墓を
      一箇所に集めてくれていました、しかし地元の人々は見かけることは有りま
      せんでした。自宅後に戻ってきても何もすることが無い、何にもかも無く
      なってしまったからです


      お寺の鐘が吊り下げられていました、いつか修復されたお寺の鐘楼で
      鳴らされ地区の人々を元気にする音が流れますように


NO 96 坂元地区の風景

    
     下の写真のように田圃の表面の土を集めているところがありました、全国の
     皆さんここは美しい田圃が広がっている土地だったんです。皆さんの周りに
     ある田圃と同じ何処にでもある田圃だったんです。忘れないでください、
     これから皆さんの周りにある、何処にでもある田圃にしていきます見ていて
    ください。








NO95 山下 地区の風景





 

       下の写真は国道六号線に沿った海側の道路の写真です。そしてこの先は
       相馬・大熊です言葉が出ません写真だけ見てください。







NO 94 仙台市亘理地区の風景





      仙台市亘理地区は仙台市の南阿武隈川の河口に広がる田園地区で、
     ここから国道6号線沿いに田園風景続きイチゴ栽培等が近年盛んな所です、
    今は震災によってこの様な風景に成ってしまいました。この風景を見て
    思っていることは、復興計画かどうなっているのか、堤防なりが何処まで
    作られて私たちが作物を何処から作れるのかの線を早く引いて欲しい。
    俺たちは避難所で過ごす為に生きているのではない、前の様にお日様
    の前で汗を流して働きたいのです。一日でも早く耕して春の作付けに
    間に合うようにしたいのです。私は農家の出身ですから津波で滅茶苦茶
    に成った田畑を見ていると何かそうのように土が行っている様です。

    震災から9ヶ月が過ぎ少しは復興が進んでいると思って、石巻から写真を
    撮ってきましたが、宮城県仙台市ですから少しは進んでいると思って来ました、
    しかし現実は下の写真のようでまだまだ進んでいない、復興が進む写真を
    撮りたいと持っていますコメントは有りません。



     日本の国にはこの様にただずうっと向こうまで荒れ野が続く風景は似合いません
     そしてこんな風景を見たことは有りません。日本の国にはこんな荒れ野ではなく
     美しい田園風景が似合います。日の本の国ですから






NO 93 仙台市 閖上の風景

   
    わたしが始めて閖上に行ったのは長町に住んでいた頃に子供たちをつれて
    魚釣りに行った時です。また仙台沖地震があり家が滅茶苦茶に壊れた頃。
    閖上港の松林の中にサイクリング場があり港の入江では良く魚釣りをして
    遊びました。閖上は名取川の河口にある漁港で小さな仙台市内に一番
    近い漁港です。


     この写真は名取川に架かっている橋を渡り見える風景でここで左に曲がる
     と閖上港にいけます。しかしこの近辺まで津波で家が壊されていました。


      閖上港に行く途中の閖上の町が有った所で、今は右に見えているビルと
      学校が見えるだけでした

   ここ閖上の町は今は津波で流された家を片付けが住んで綺麗に整備されている
   風景が見られました




NO 92 仙台市 荒浜の風景

        昨年仙台港から相馬市の方に向かって撮影に行った時の写真で、
        正月に撮った写真を優先したので遅くなりました。今回は荒浜の
        風景です、石巻市や東松島市等と同じく津波の被害を大きく受けた
        のに、この頃は余り全国的に紹介されなくなってきています。私は
        震災後始めて荒浜地区見てきました、ここも石巻と一緒で何もかも
        無くなっていました、無くなり過ぎて残っている家屋で生活をする
        場所さえ無い状態でした。そのためここの生き残った人々は仮設
        住宅に住んでいる為、余り紹介されないのでは無いかと思われます。



      荒浜小学校の校庭に津波で流されたバイクだけが集められていました。
      こんなに多くのバイクだけ集められているところは他では見かけることは
      ありませんでした。


     これらの写真は荒浜地区の週宅地があったところで、今はこの通り津波に
     流されて何もなくなってしまいました。人が住んでいる様子は在りません、
     これが今の海岸線に沿った住宅地の現状です。  



        土台だけが残っている住宅地、会社の仲間の家もこのあたりかも、
        何もかも無くなってしまい土台だけが残っていたと話していました。

    
     荒浜の海岸線に沿って植えてあった防風林が流されて、今は倒木松ノ木が
     切られて積み上げられていました。

    この土台の上に立っていた家を思い浮かべると、今にも住んでいた人の声が
    聞こえてきそうです。悔しくて涙が出て来ました。

        
            横断歩道が有って住宅街 人々の生活観が感じられました。


             橋が流されていて行き止まり、道路はずーと続いています。