久しぶりに明るいうち石巻市内の家に帰っていく途中、東松島市の野蒜
によって来ました。この野蒜で私は、震災に電車の中で遭いました。
あのときの電車は今も有ると思って石巻に行く途中に寄り道したつもり
でしたが有りませんでした。テレビでの放送で判ったことですが、今日
あの電車は片付けられたのだそうです、吉田川の土手から見えていた
電車が片付けられてなくなっているのを見ると、あそこから始まった私の
震災は、きっとうそだったのではと思いたいです。しかし現実は私が
震災後最初に見た風景、津波に流された町は今は下の写真の様に
片付けられていて空き地が広がっていました。
遠くの家が見えている方向に大曲の海岸が有り、向こうから津波が押し寄せて
きたそうです、また茶色になっている所はすべて田んぼが続いていたところです
遠くに見えている白い建物が野蒜小学校です。この地区の避難所でしたが
震災次の日に見たときには体育館の中まで車が入っていて校庭は松の木
などが歩くところが無いくらいに散らばっていました。
この橋の向こうには防風林のが続いていて向こうが見えなかったところ
でしたが、今はすっかり見渡せます。
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